第五章 日本人と蛙
絵画と蛙
姿形が擬人化し易いためだろうか、カエルはしばしば絵画にも登場する。
鳥羽僧正覚猷作といわれる『鳥獣人物戯画』は、誰もが一度は目にしたことがあるのではないだろうか。
『鳥獣人物戯画』は、甲、乙、丙、丁の四巻に分かれており、普通我々が『鳥獣戯画』と呼んでいるものは動物達が多く描かれた甲巻のことである。カエルは、葵祭りの行列、相撲、法会をはじめとしたほとんどの場面に登場する。そして擬人化された兎、猿、狐といった他の動物達と共に実に生き生きと描かれている。カエルが兎や猿と共に登場する話が『日本昔話辞典』に見え、これらは何らかの関わりがあり、互いに影響し合っていたものと考えられる。
『鳥獣人物戯画』が一体何を意図して描かれたものであるかは諸説がある。世相を諷刺したものとも考えられており、また、年中行事を模した絵が多いことから年中行事絵説もでている(『日本古典文学大事典』)。
カエルをテーマに絵を描いた画家では、河鍋暁斎(天保2年(1831)〜明治22年(1889)がいる。
幕末から明治前期にかけての日本画家である。機知、ユーモアに優れ、多くの戯画、諷刺画を残した。また、筆力に優れ、人物戯画の他に動物や妖怪を題材とする絵も多く残した。
暁斎の絵に中には蛙も至る所に登場しており、『風流蛙大合戦』が代表的なところである。蛙の表情や動き、そして合戦の様子がリアルに描かれており、『鳥獣戯画』とはまた違った迫力がある。動物をリアルに描き、その上擬人化することで、動物の姿と人間の行動の差が際だち、更に滑稽になる。これは画力のある暁斎だからこそできたことだろう。
『説話の森』(1991・5)では小峯和明氏が次のように述べている。
人間の行う儀礼や遊技を動物達に仮託する事の意味は何か。おそらく人間以外の生き物にたとえた方がより説得力をもつからであり、人形を使う場合も同じであろう。もどきの本質もここにある。人間を離れ、動物に人間を演じさせることで、逆に人間がよく見えるからだ。硬直した人の行為や儀礼、あるいは何の意味もない遊びをあらためてとらえ返すには人から離れるほかない。相対化し、ひっくり返すほかない。
諷刺画では、人間を使ってそのまま風刺するよりも、カエルなどの身近な動物を擬人化して描いた方がよりいっそうおもしろく滑稽に感じられる。諷刺画にカエルの絵を使用するのは、このような効果もねらったためだろう。