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第五章 日本人と蛙

      俗信と蛙

 

 これまで見てきたように、日本文学には多数の作品に様々な設定でカエルが登場する。
最後に、カエルは我々の生活にとって身近な存在だったが、このことが文学作品以外のところで分かる例をあげてみたいと思う。

俗信と蛙

それはまず、数多くの俗信に現れている。俗信は、庶民の間で脈々と受け継がれてきたものである。

  アマガエルは神様のお使いだから手をかけない   (福島県大沼郡)
  ヒキガエルは、福の神                     (和歌山)
  ヒキガエルにふれると、疣ができる                         (栃木、群馬、奈良、三重、岡山、広島、山口、高知、大分等)
  カエルに小便をかけられると疣ができる                  (群馬、新潟、和歌山、山口)
  カエルを殺すと、雨になる                                     (北海道、岩手、秋田、山形、福島、千葉、新潟、富山、石川、福井)
  アマガエルが鳴くと雨になるとは、全国的に言う
  カエルが土中浅く冬籠もりするときに不作なし           (山形県村山市)
  痰を止めるにはアオガエルを生きたまま呑むと良い   (山口県大島郡)
  寝小便には、カエルを食べる                                 (群馬県利根郡)

                                             

                                        (『日本俗信辞典』鈴木棠三)

 ここにあげたのはほんの一例であるが、地域は離れていても同じような俗信が伝わっていて興味深い。
民間療法で、カエルを薬として利用していたことも分かる。


 そして、蛙に関する俗信はたくさんあるが、これらが文学に取り込まれている例を紹介する。

  蛙が死にかけたときは、オオバコの葉をかぶせると 生き返る
                             (『日本俗信辞典』)


 この俗信をふまえたと思われる表現が『蜻蛉日記』にみられる。

   山ごもりの後は、「あまがへる」という名をつけられたりければ、かくものしけり。こなたざまならでは、方も、など、物しくて、

   おほばこの神のたすけやなかりけむ
         契りしことを思ひかへるは

  とやうにて、例の、日過ぎて、つごもりになりにたり。


 (山籠もりの後は、「あまがえる」というあだ名を付けられていたので、こんな歌を書いてやった。
こちらと別の所なら方塞がりもないらしいわなど、不快に思われて、

  「雨蛙」の私には、おおばこの神の助けもなかったのでしょうか。
   暮にとの約束がくつがえってしまいましたのは。それで死ぬほどの思いをしております。

  といった具合で、例によって、日数が立ち、月末になってしまった)        

                                                 (『蜻蛉日記』)

 主人公の女性が、山籠もりの後で夫からアマガエル(尼帰る、雨蛙)というあだ名を付けられ、「夕方にまた来る」と約束していたのに方塞がりを理由に自分の所に来てくれないので不満に思っている場面である。
 この場面だけをみても何の事かわからないが、先に挙げた俗信と併せて考えると、オオバコの神の助けがあったら蛙といわれた私は助かる、つまり、夫に来てもらえるという意味が分かるようになる。