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第三章 和歌、俳句に登場する蛙

 第三節 和歌と俳諧の変遷

 歌語、雅語、季語としてのカエルを見た上で、いよいよ和歌・俳諧の中でのカエルの変遷を述べる。

 万葉集についてはすでに第二章で述べているが、カハヅの美しい鳴き声を詠み込んだ和歌が多く残されている。万葉人は自然の中に入り、自分の感情と自然の様子を素直に歌で表現した。ここで詠まれているカハヅは、生のカエルの姿である。

 続いて八代集を見てみる。計十五首のカエルの歌が収録されている。八代集というと、『古今和歌集』仮名序が連想される。ここでカエルは「花に啼く鶯、水に棲む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」と、鶯と並び声の美しいものとして紀貫之に絶賛されている。しかし、ほとんど都からでない平安の貴族達が、渓流に棲むカハヅ(カジカ)の声を実際に聞いて歌を詠んだとは考えにくい。従って本物を見ずに詠んだカハヅの歌はだんだん一定のパターンが決まってくるようになった。


カハヅは「鳴く」ものとしてほぼ固定し、カハヅと共に詠まれるもの、風景、場所も定まっていった。

 

 カエルの登場する和歌の構成要素 (『国歌大観』CD−ROMより)

 『国歌大観』とは、日本で詠まれた和歌の総索引ともいえる書物である。『国歌大観』CD−ROM版でカエルに関する和歌を検索できる限り検索し、その構成要素を調べてみた。

場所 田、川、井戸
季節 春、夏、秋、
時間 朝、昼、夕暮れ、夜
地名 井出、小山田、○○川など川の名前
天気 雨、五月雨
もの 山吹、水、草(植物)、花


 この中に山吹という語が見えるが、これは山城国井出が山吹の名所であり、カエルの名所でもあるからである。

 井出、カエル、山吹については『夏山雑談』『笈挨随筆』『耳袋』にも見える。カエルと山吹がセットで詠まれた歌は、『国歌大観』で調査したところ約百九十首にも上った。

 このようにパターン化された中でカエルの和歌の新しい動きや表現法は生まれず、和歌の世界では特に目立ったカエルの歌も生まれずに終わった。

 俳諧は、和歌、連歌という流れの後に成立した。俳諧では、松尾芭蕉(正保元年〜元禄七年)、宝井其角(寛文元年〜宝永四年)、与謝蕪村(享保元年〜天明三年)、小林一茶(宝暦十三年〜文政十年)の四人に注目し、カエルが俳諧でどのように扱われてきたかを述べたい。

 芭蕉以前の俳諧では、山崎宗鑑(室町後期・生没年未詳)のカエルの句がある。

   手をついて歌申しあぐる蛙かな

 カエル特有のポーズが、いかにも手をついて歌を申し上げている人間のようで、滑稽さが漂っている。ここでは「歌申しあぐる」のように、未だに「鳴くもの」だという伝統を引きずっているのである。しかし、カエルの姿に注目したことで、一歩進んだ感がある。

 俳諧は、貞門派、談林派と移り変わり、いよいよ松尾芭蕉が登場する。

   古池や蛙飛込む水の音

 もはや知らない人間はいないであろう。カエルを「飛込む」という行動と、「水の音」という今までとは全く違った形で表現しているのである。
 この句の成立に関して、次のようなエピソードがある。

 弥生も名残おしき比にやありけむ、蛙の水に落る音しば\/ならねば、言外の風情この筋にうかびて、「蛙飛こむ水の音」といへる七五は得給へけり。晋子が傍らに侍りて、「山吹」といふ五文字をかふむらしめむかと、をよづけ侍るに、唯「古池」とはさだまりぬ。しばらく論レ之、山吹といふ五文字は風流にしてはなやかなれど、古池といふ五文字は質素にして実也。
                                                      (『葛の松原』支考)

 芭蕉の直弟子である其角(晋子)は、上五文字を考えるとき、カエルと組み合わせるものとして伝統的な「山吹」を出してきた。しかし芭蕉はあえて「古池」とすることで伝統にとらわれない表現を手に入れたのである。


芭蕉により自由に、そして行動的になったカエルは、以後様々な設定で俳諧に登場していく。

 芭蕉の直弟子である其角は、江戸という都会の中で豪放闊達な作風を形成した。華やかな句を好んだことは、『葛の松原』を見ても明らかである。其角のカエル句は、華やかな発句の裏に古典文学の影を感じる。これらの古典の教養がなければ、発句の全てを理解することが不可能であり、ゆえに少々分かりにくい感を与えている。

 与謝蕪村は、高度な美意識や教養に支えられた感性的・浪漫的俳風で知られる。蕪村のカエルの句はなかなか優れた発句が多いのであるが、これらの句が詠まれた場所は句会の場が中心であった。だから実際にカエルを見て詠んだのではなく、頭の中で考えたカエルの姿ということになるのであろう。

 小林一茶は何かと不遇な人生を送った俳人である。作風は、滑稽、諷刺、慈愛だといわれる。一茶は小動物を句に詠み込むことが多かったが、カエルもそれに漏れていない。
 今まで取り上げた四人の中では最もカエルの発句数が多く、約九十句詠んでいる。量の多さもさることながら、句の内容も大変充実したものになっており、どれをとってもカエルの微妙な動き、生態、習性がよく観察されている。これらはカエルと同じ目線にならないと絶対に詠めない句であろう。

   痩蛙まけるな一茶是にあり

では、痩蛙を自分の姿と重ね合わせたのであるといわれている。自分が人間社会の弱者であるがゆえに、小動物のような弱者の句を多く詠んだと言うことである。確かにそのような一面もあるだろうが、一茶の句には小さきものに対する愛情があふれており、決して自分の姿と重ねるためだけに小動物の句を詠んだとは思えないのである。

 一茶の句はパッと見ただけでも大変分かりやすく、ストレートに意味が伝わってくる。ゆえに、「俳句らしくない」との批判の声もあがっている。しかし、カエルを自由にしたのは芭蕉でも、カエルの魅力を十分に引き出したのは一茶ではないかと考える。

 和歌、俳諧の歴史の中でカエルもその表現法が変化した。その変化には時代背景や書き手のことも無視できないのではないだろうか。平安時代には作品の内容も華美なものが好まれたであろうし、近世の書き手である層には華美なだけではなくもっと自由な表現のものが好まれただろう。このような表現の違いを見ることで、価値観の変化も知ることが出来、おもしろいのではないだろうか。