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第三章 和歌、俳句に登場する蛙

  第一節 カエルとカハヅ─俗語と歌語、雅語

 第二章では日本文学における蛙の外観を述べたので、第三章ではジャンルを絞ってみていくことにする。
 和歌と俳句は同じ様な短い形式であり、共に多くのカエルが詠まれているジャンルなのだが、そのカエルの表現は果たしてどうだったのだろうか。

 カエル(カヘル)が俗語であり、カハヅが歌語、雅語であることは一章でふれた。この違いについて考えることで、和歌、俳諧におけるカエルの姿を探ってみたい。

 歌語とは、和歌表現に用いられる言葉である。広くは、四季の景物、歌枕、序詞、縁語、掛詞などの和歌表現に関わる慣用的、類型的な言語表現の体系を指す。
 そして雅語とは優美で品格があり、洗練された、和歌表現に用いられる言葉を指して言う。「俗語」「俗言」「俚言」に対するものである。
 カハヅはそのどちらにも当てはまる言葉とされている。

 カエルという語は和歌には滅多に現れず、専らカハヅが使用されている。だが、上代からカエルという語のあったことは確かであり、『万葉集』巻第八(一六二三)にカエデのことを蝦手(カエルデ)と表現していたことから証明できる。
 カエルとカハヅの違いについてはすでに述べられており、以前から人々が疑問に感じていたことが推測できる。(『難波江』)


 万葉集にでてくるカハヅはまずカジカガエルと考えてよい。しかし後世になるに従い、必ずしもカジカガエルを指すのではなく、カエル全般を指すようになってくる。俳句に詠まれているカハヅは、カエル全般を指していることが多い。

 このような変化が生じたことについて、浅野信氏が『「蛙」景物考─「かへる」「かはづ」「井の中の蛙」─』(『国学院雑誌』昭五七・二)で次のように述べている。

 「かへる」「かはづ」の二別の発生とその意義史は─「かはづ」が声の春の蛙で、・「かへる」が姿の夏の蛙であるといふこと、……すなはち、「蛙」に声の「かはづ」・姿の「かへる」の二様を生み、声の蛙を持って美意識上の「かはづ」としたことに、日本民族の蛙に対してとつてきた、すばらしい美意識史を見る、といふことなのである。

 和歌においてカエルは、「鳴くもの」であり、その姿についてはほとんど注目されていなかった。カハヅが「声のカエル」であるとすれば、鳴くカエルしかでてこない和歌においてカハヅという言葉しか使用されなかったのは当然であるといえよう。