[Home] [蛙の研究] [Gallery] [素材の小部屋] [Profile] [LINK]

第二章 日本文学における蛙の概観 

  第三節 中世

『宇治拾遺物語』(鎌倉前期成立)

三続 晴明蛙を殺す事

 庭に蛙の出で来て、五つ六つばかり躍りて、池の方ざまへ行きけるを、「あれ一つ、さらば殺し給へ。試みん。」と僧のいひければ、「罪を作り給ふ御坊かな。されども試み給へば、殺して見せ奉らん」とて、草の葉を摘み切りて、物を誦むやうにして、蛙の方へ投げやりければ、その草の葉の、蛙の上にかかりければ、蛙真平にひしげて死にたり。これを見て、僧どもの色変りて、恐ろしと思ひけり。

 阿倍晴明は平安中期の陰陽師で、多くの伝説を残している。このカエルを殺す話は晴明の伝説の中でも特に有名なものであり、「晴明蛙を殺す事」と同じ話が『今昔物語集』巻二十四第十六話にも伝えられている。庭のカエルを術であっさりと殺すことで、晴明の超人的な力を強調している。

 この話のようにあっさりとカエルが殺されてしまったり、『日本霊異記』のようにカエルが蛇に飲まれそうになったりと、カエルが弱い立場にいる話は少なくない。『催馬楽』に

力なき蝦 力なき蝦 骨なき蚯蚓 骨なき蚯蚓

という歌が残されているが、この歌にあるようにカエルは弱いものとして立場づけられていた可能性もある。

『古今著聞集』(建長6年 一二五四年)

 『古今著聞集』巻二十魚蟲禽獣に、寛喜三年の夏、高陽院殿南の大堀でカエル合戦があった記録が残っている。カエル合戦とは、カエルが交尾のため多数群れ騒ぐ様子を言ったものである。カエル合戦の記録は他にも多く残っており、『続日本紀』神護景雲二年(七六八)七月庚寅の条に見える古いものから、『嬉遊笑覧』巻之十二、『浪華百事談』『耳袋』『勇魚鳥』のような近世、近代のものもある。

 では、なぜこのように多くのカエル合戦の記録が残されたのであろうか。

 多数の、時には万単位のカエルが参加するというカエル合戦は、毎年行われることとはいえ珍しい出来事である。また、『日本史の中の動物事典』では「蛙合戦として古くから異常の前兆と考え注目された」とある。迷信等に縛られていた時代のことであり、一節で述べたようにヒキガエルは霊的な力を持つものとして考えられていたのである。注目されてもおかしくはないだろう。

 これらのことを考えると、カエル合戦の記事の多さにも頷けるものがある。