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第二章 日本文学における蛙の概観 

  第二節 中古

 

『日本霊異記』(弘仁年間 八一〇〜八二四成立)

「蟹と蝦との命を贖ひて放生し、現報に蟹に助けられし縁」中巻 第十二

 山城の国に慈悲の心が深い一人の娘がいた。
 ある時、牛飼い童が蟹を焼いて食おうとしていた。この女はそれを見て蟹を譲ってもらえるよう頼んだ。ようやく譲ってもらったあと、女は蟹を放してやった。 
 このようなことがあったあと、ある日、女が山にはいると、大蛇が大きな蛙を飲んでいた。女は大蛇に頼んで、自分を大蛇の妻とすることで蛙を助けてやった。この話を聞いた父母は憂い嘆いたがそのころ紀伊の国の深長寺に来ていた行基大徳に相談してみた。女は彼から教えを受けて家に帰り、いわれたとおりにして約束の夜を待った。
 いよいよ約束の夜になり蛇がやってきたが、女の身には近付かなかった。翌日見ると大きな蟹が蛇をずたずたに斬っていた。

 この話のカエルは、蛇に飲み込まれそうになっているところを娘に助けてもらうという弱々しい立場である。カエルは蛇の餌であるという自然の摂理を、ここですでに人々がよく認識していたのである。『今昔物語集』巻第二十八「山城介三善春家恐蛇語第三十二」に、「前ノ世ノ蝦蟆ニテヤ有ケム、蛇ナム極ク恐ケル」という表現も見える。後世様々な文学作品に蛇とカエルに関する話が登場することになる。

この話とほぼ同話が『日本霊異記』中巻第八話にも見える。また、『今昔物語集』『古今著聞集』にも同じたような話が掲載されており、カエルと蛇の関係が一つのパターンとして定着していることが分かる。


『今昔物語集』(平安後期 成立年代未詳)

「近衛御門倒人蝦蟆語」巻第二十八 第四十一

 今は昔、近衛御門に人を倒す蝦蟆がいた。
 ある時一人の愚かな大学寮の学生がこの話を聞き、蝦蟆を退治しようとした。学生は蝦蟆を見つけ飛び越えたが、とたんに自分の冠が抜け落ちた。学生はそれに気づかず、冠を蝦蟆と勘違いしてやたらと踏みつけた。学生はこの後、通りかかった上達部の雑色達と暴れた後、あたりの溝の脇にうつぶせになって夜を明かした。



 この話では、はじめにガマが人を倒しているという噂が立っていて、愚かな学生がそれを退治しようと出ていくのであるが、実際に学生をガマが倒すという描写は出てこない。学生は自分の冠に引っかかって倒れたのであり、文章を読んだだけでは果たしてガマは本当に妖力を使って人を倒していたのかどうかも分からない。ガマの妖術というのは、実はこのような愚かな人間の勘違いなのだというようにとれなくもない。
 それに対して、学生の冠を落とし、その後に続く愚かな行動の数々まですべてガマの妖力の仕業だったともとれるのである。
 しかし、どちらであろうとも、ここではガマが「人を倒す力を持つ妖異なるもの」としておかれていたことは事実であり、物語を展開するための重要なポイントを占めているのである。 



『枕草子』(長保二年頃 一〇〇〇年頃成立)

一七五段 「村上の先帝の御時に」

同じ人を御供にて、殿上に人候はざりけるほど、たたずませたまひけるに、火櫃に煙の立ちければ、「かれは何ぞと見よ」と仰せられければ、見て帰りまゐりて、

わたつ海の沖に漕がるるもの見ればあまの釣して帰るなりけり
(海の沖に漕がれる物を何かと見ると、海士が釣をして帰るのでした─燠火に焦げる物を何かと見ると、蛙なのでした)

と奏しけるこそおかしけれ。蛙の飛び入りて焼くるなりけり。


 兵衛の蔵人の機転を書いた話。和歌の中に直接カエルが出てくる訳ではないが、カエル=帰るという掛詞が大きなポイントになっている。カエルという名前の語源には諸説がある。「帰る」という言葉から「カエル」と呼ばれるようになった例もあり、この話の他にも多くの「カエル=帰る」の例が見られる。