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第二章 日本文学における蛙の概観 

  第一節 上代

 

第二章では、上代から近代まで、どのような文学作品にどのような形で蛙が登場するかを述べていく。

 

『古事記』(七一二年成立)

 大国主神が、出雲・御大の岬にいるとき、船に乗り近づいてくる神がいた 。名を聞いても答えず、諸々の神に問うても皆知らないと言う。

 爾くして、たにぐくが白して言はく、「此は、久延毘古、必ず知り たらむ」といふに

(そこでヒキガエルが申して、「これは、久延毘古がきっと知っている でしょう」と言うので)      (『古事記』)

 古事記には、タニグクと言う呼び名でヒキガエルが登場する。この蛙は、大国主神にものを教えるという重要な役目を与えられている。
 タニグクという呼び名は祝詞にも登場する。祝詞にみられる「谷潜のさ渡る極み」と言う表現は、ヒキガエルを用いることにより、地上の果てをあらわそうとしている。
 ヒキガエルは何か霊的な力を持っていると考えられていたと思われる。

『万葉集』(七五九年以降成立)

蝦鳴く甘南備河にかげ見えて
         今か咲くらむ山吹の花

             (『万葉集』 一四三五)

(蛙の鳴く甘南備河に影を映して、今頃咲いていることであろうか、山吹の花が。)

 万葉集に「カハヅ」は二〇首の歌に詠まれ、「タニグク」は二首詠まれている。
 表記は河津、河蝦、川津、蝦、川豆がある。
 万葉集に出てくるカハヅは、佐保川、神奈備川などの川や、水辺に関わる場所とともに詠まれていることが多い。だからここでいうカハヅはほとんどがカジカガエルであると思われる。また、万葉集では「蝦鳴く」と言う風にカハヅの鳴き声が重視されており、姿や行動については注目されていない。カハヅは鳴き声を楽しむものだというこの時代の美意識を感じさせる。


 タニグクは、万葉集でも「谷潜のさ渡る極み」と言う祝詞と同じ表現が用いられている。鳴き声だけを重視したカハヅとの違いを感じる。カジカガエルをはじめとするカハヅと、ヒキガエルを指すタニグクは、同じ蛙でも分けて考えられていたらしいことがわかる。